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基礎知識茶室のディティール

◎平面計画で大切なのは、点前座に対して客畳をどう配置するか。茶事の動線を検討する。
◎炉の切り方には 8 種類がある。
◎天井や内壁などでも客に対する心遣いが欠かせない。

茶室の屋根

茶室の屋根の形は切妻・入母屋・寄棟・方形に、出庇(土庇)をつけた庇造りが茶室構えの条件とされます。客の出入口である躙口を屋根の妻側に設ける「妻入」と、棟側に設ける「平入」があり、これによって屋根の形が決まります。

出庇は室内の掛込天井の化粧屋根裏がそのまま屋外まで伸びたもので、室内と露地の自然を融合させます。軒裏材料は赤松の皮付や香節や雑木の小丸太を垂木に使うなど、自由に選びます。

屋根材は昔は茅葺き・杮葺き・板葺きなどが中心でしたが、現在は法律の制限などから瓦葺き・銅板葺き・その他の金属板葺きが普茶室の屋根及しています。 

茶室は小さい建物ですので、屋根の形と向きには特に注意が必要です。樋は3寸くらいの孟宗竹を二つに割り、節を抜いた竹樋が使われ、毎年秋の口切の茶事の際に取り替える習慣になっています。

外壁は藤蔓を巻いた小舞下地に荒壁を下塗りし、中塗り・上塗りを重ねた土壁とします。土壁は京都産の聚楽土が最高とされますが、最近では繊維壁を使った土壁の模倣仕上げも用いられています。

平面・間取り

平面計画・間取りで大切なことは、亭主が座る点前畳に対して客畳をどう配置するかです。懐石(食事)・喫茶・点茶のための準備や後始末のための水屋の位置を最初に決め、茶事の動線を検討して亭主の出入りする茶道口(勝手口・給仕口)を決めます。

次に点前畳にどう進むかです。
基本的には踏込畳に一歩進んでから左または右に曲がって、点前畳に座ることが基本です。また、踏込畳からまっすぐ2〜3歩入って点前畳に入る方法もあります。点前畳の右に客畳(つまり、客が亭主の右に座る)がくる場合を本勝手、左側に来る場合を逆勝手と呼びます。

炉切り

茶室における炉の切り方(位置)は宗派・流派によって多少異なります。一般的には点前座(点前畳・道具畳)に炉を切る入炉と、点前畳以外の畳や板に炉を切る出炉があります。

入炉には点前畳の客と面する側に炉を切る向切と、亭主の後に炉を切る隅切があり、出炉には台目切(台目畳に沿って切る)と、四畳半切(半畳の中に炉を切る)があります。

つまり、入炉2種類・出炉2種類、さらにそれぞれに本勝手・逆勝手があるので計8種類の炉切りがあります。これを「八炉の法」と呼びます。

点前畳と客畳の間や点前畳の正面に幅の狭い板を挟み込むことがありますが、これをそれぞれ中板・向板と呼び、ここに炉を切る場合もあります。四畳半までの小間では本勝手の台目切や向切が多く、四畳半以上の広間では本勝手の四畳半切が使いやすいといわれています。
 
炉は寒い季節には土炉・石炉や金属製の炉を桧材で囲って使い、暖かい季節には金属製や土製の風炉が用いられます。夏(5月〜11月初旬頃)の風炉、冬の炉と使い分けるのが一般的です。

また、切腹畳にならない位置に炉を切ります。畳の敷き方と炉の位置を考慮して、亭主・客の動線も考え合わせることが必要です。

畳の敷き方

茶室の一般的な畳には、京間(1 91× 95・5㎝)、関東間(176× 88㎝ )他の大きさがあります。台目畳は、普通の畳のおよそ4分の3の大きさです。「○畳台目」とは、普通の畳○畳+台目畳1枚の敷き方を示しています。

茶室は床の間より炉が基準となりますので、亭主の勝手付側(客座とは反対側の辺)に平行にして他の畳を敷くことを良しとしています。直角に対すると亭主の切腹を意味して嫌われます。

一般的には床の間と畳は平行になり、点前畳は縦敷き、出炉の炉畳は点前畳と直角とし、炉は縦に切ります。この敷き方は下座床の場合、不吉とされる床差しになってしまいますが、茶儀上は問題ありません。

茶室に設けられる窓は、室内の採光・通風・温度を調整すると同時に、和らぎと空間的広がりをもたらします。窓の位置により、点前座前の風炉先窓、床中にある墨蹟窓(床窓・花明窓)、客座には躙口上の下地窓や連子窓など、さまざまな形やデザインがあります。また、掛込天井に突上窓を設ける場合には、雨水の処理などに注意が必要です。

◎下地窓
土壁の土が落ちたように、素朴に下地の木舞を見せた窓。別名「塗り残し窓」ともいいます。木舞に藤蔓や葛を外側では縦、内側は横に巻き付けます。

◎連子窓
敷居・鴨居・連子子で構成される窓です。草庵茶室では躙口とセットで設けられる構成が多く見られます。

◎色紙窓
上下2段の窓で、上下の中心がずれて配置されます。点前座勝手付に設けられます。

天井・内壁

天井は室内の雰囲気を大きく左右します。真=平天井、行=掛込天井、草=落ち天井の三段階に分け、座の違いを表現します。例えば点前座を蒲の一段低い落ち天井として、客座は格子天井や棹繰桧皮張天井などの平天井に、躙口は掛込天井とします。客に対する礼儀ともてなしの心遣いです。

茶室の壁は黄土色で、通常聚楽土または聚楽色土物砂土で仕上げます。小舞に荒壁を塗り、柱・天井まわりに暖簾打ち、髭子打ちを行い、中塗りで塵まわりを仕上げ上塗りするのが本来の土壁です。

茶室の内壁の腰部分は、壁や衣服の痛みや汚れを防ぐため腰貼をします。客座は湊紙、点前座側は奉書などに用いられる反古紙や鳥の子紙を使うこともあります。

茶と茶室の歴史

茶は中国から日本に伝わりました。その歴史は古く、奈良時代まで遡ることができます。その後、最澄・空海などの留学僧が唐から茶種を持ち帰り栽培しました。さらに栄西(臨済宗の開祖)が種子や苗木を持ち帰り、「喫茶養生記」を残しました。当時、茶は仏僧の間などで貴重な薬として飲用されていましたが、鎌倉時代後期から武家の間でも味や香りから茶の種類や銘柄などをいい当てる闘茶が流行していきました。

室町時代末期から商人や文化人の間にも茶の湯が大流行していきます。離れ風の小亭・草庵で、和歌を詠みながら茶の湯を楽しんでいたようです。ちょうどその頃、足利義政の同朋衆から村田珠光があらわれ、単なる茶の湯ではなく侘び寂びにもとづいた茶道を行うための四畳半を開いたといわれています。

その後、堺の商人武野紹鷗が珠光の茶の湯をさらに進め、三畳・二畳半の小座敷を創作しました。そして貴族趣味を避け、唐物ではなく日常雑器の中から茶道具を選んで使用しました。

紹鷗の門から出た千利休は珠光流の草庵の茶を学び、侘び茶の精神こそが茶の湯の原点と考え、「本来の侘び寂びの心をいかに建築的空間に表現するか」を大きな課題としました。

利休は茶の湯を、自己の人間性を鍛錬するための修業の場として「茶道・侘数寄」を確立しました。「四畳半にもなりては一向に茶の湯の心持ちが違う」として、さらに二畳(妙喜庵待庵)・一畳半など小間茶室をつくり、より小さな空間・動作の中にひとりの人間の生きざまや人生を語りつくすわけです。

利休の後、千宗旦・小堀遠州・片桐石州などさまざまな茶風や茶室が展開され今日に至っています。しかし、利休が目指した侘び茶の精神はいまも変わっていません。

現代見ることができる茶室のほとんどは、千利休が開いた侘び数寄に精神的な原点を求められるものがほとんどです。そのため、多くが草庵風茶室となっています。「侘び」を表現すべく、清楚かつ単純で、清楚な趣を基本としています。極端にいうと、土壁で囲われた空間に窓と出入口を開けただけのものです。

このような草庵茶室の姿は住宅にも大きな影響を与え、茶室の手法を取り入れた座敷をもつ数寄屋住宅もあらわれます。