玄関の歴史
玄関とは禅宗の言葉で「玄妙なる道に入る関門=深遠なる仏法に入る入口」の意味で、室町時代に足利義政が東山御所で玄関を設けたのが最初といわれています。
中世末から、禅宗では長老などの私室(方丈)の東南の隅に土間の廊下を突き出し、これを玄関と呼んでいたようです。玄関は貴族や武士の屋敷にも広まり、江戸時代になって現在の玄関の原型が確立しました。当時は階級や身分によって格式の差が表現され、大きさや型も異なっていました。
主人の公式行事・来客・対面のための表玄関と、家族のための内玄関、使用人や御用聞きのための勝手口と、家族でさえ玄関を分けて使うようになっていました。
正面玄関は唐破風の屋根を建物が本屋から突き出し、入口は開放されていて(その前方に門があり、そこに頑丈な木扉がある)、土間に続いて一段高くなって式台(板敷きの間)、さらにその奥に畳や板敷きの部屋(取次)があり、ここからが本屋となります。式台と本屋の畳敷きの境に舞良戸があるのが一般的です。この式台の板敷きは、江戸時代に籠をつけるために設けられたといわれています。
明治時代になると、一般人にも玄関が許され、玄関構えが立派なほど身分の高い人、格式のある家を指しました。そのため、人々は立派な門構え・玄関構えの家を持つことに憧れたのです。