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基礎知識和風住宅の成り立ち

◎ 和風住宅は日本の気候風土や生活様式の中で生まれてきた。 四季の変化を感じられる住まいである。
◎ 「書院造り」「数寄屋造り」「町家・民家」が 現在の和風住宅を考える上で基本となるスタイル。

和風住宅の特徴

温暖多湿の気候風土に適合するため、「夏をもって旨とすべし」という和風住宅が育まれてきました。 柱・梁など構造をそのまま見せ、 間を土壁や建具でつなぐ必然的に 風通しのよい家となりました。
 
四季の変化がはっきりしている日本ではこうした住まいは自然をより近しいものと感じさせることとなり、虫の声を聴き雪月花を愛 でる暮らしが生まれました。
 
ただし、冬の寒さには弱い住宅でした。現代では和風住宅のよさを生かしつつ、断熱性能などに優れた住宅も次々に登場しています。

和風住宅の歴史

寝殿造りまで

狩猟・採集時代の横穴住居・竪穴住居から農耕中心の平地住宅・高床住宅に移行。大和朝廷の支配確立につれ、貴族住宅と農民住宅の差が明確に。農民は掘立て小屋の生活でしたが、平城京の大寺院や貴族の邸宅が建てられました。

平安時代には貴族の寝殿造りが確立されます。京都御所紫し 宸しん殿でんなどに見られ、南向きの寝殿を中心に平東西の対屋などを吹放しの廊下で結び付けています。寝殿前面に庭と島のある池を配置。屏風・几帳・衝立で仕切り、畳は主人が座る場所のみに置きました。

書院造りと数寄屋造り

貴族に替わり武士の勢力が増すと武家造り、そして現在の禅寺の方丈などに見られる釈家造りを経て武家の住宅のスタイルである書院造りが確立されます。

釈家住宅の押板や棚から、書院造りでは床の間や床脇の飾り棚、さらに書院などの形式が確立しました。また畳も鎌倉・室町時代には敷きつめられ、建具も板戸から明かり障子・襖へと変化しました。

豪華な格式高い書院造りに対し、桃山時代頃から自然や質素に価値観をもち「わび」「さび」を感じさせる茶室や、それをもとにした数寄屋造りが生まれるのです。

江戸時代から

江戸時代には町人に対する建築様式の制限か、間口の狭い町家のスタイルができあがっていきました。また、各地にはそれぞれの気候風土に根ざした民家が発生したのです。一方、江戸時代中期以降になると庶民の間でも書院造りが広まり、床の間がつくられるようになっていきました。

現在ではこうした中で生まれてきた「書院造り」「数寄屋造り」「町家・民家」がいわゆる和風住宅を考える上で基本となるスタイルということができます。